コラム04広告では売れなくなった3つの訳

「もはや広告では売れない」と言われはじめて久しくたちます。
では、どうすれば売れるのでしょうか?
でもその前に、なぜ広告は効かなくなったのでしょうか?
そもそもなぜ効いていたのでしょうか?

大メーカー「常勝手法」の確立

20世紀の後半、テレビを中心とするマスメディアの時代は、大メーカーが「常勝手法」を確立した時代でした。
彼らは、一定以上の商品力と、圧倒的な営業力を背景に、先ず売り場を占拠したうえで、資金力に飽かせてメディアを買い占め、大量の広告を投下することで、商品が面白いようにハケて行く構造を手に入れました。
【待ち伏せ】→【刺激】→【反応】→【刈取り】のサイクルがみごとに機能したのです。

広告では売れなくなった3つの訳

広告では売れなくなった訳は、大別すれば以下の3つだと考えます。
その1:流通の台頭→売り場支配の崩壊
その2:ネットの浸透→情報支配の崩壊
その3:商品差別化の臨界点→買うべき理由の希薄化

その1:売り場支配の崩壊

かつての小売業は、資本的にも脆弱でした。
メーカーは、強固な販社制度や代理店制度の元に、脆弱な小売業を支配下に置き、「自社製品を扱わせてやり」「その手間賃を払ってやる」と言う姿勢で、売り場網を充実させ、そのうえで、広告を投下して刈り取る仕組みを築いていました。
そこへ、広域量販チェーン/組織流通の台頭が起きます。
スーパーやコンビニ、ホームセンターやドラッグストアーと言った業態が登場し、一気に市場を席巻して行きました。
そして彼らの金科玉条はPOSデータと言う事実に基づいた「売れ筋至上主義」。
今売れるものだけを品ぞろえして、消費者のニーズに応える。
しかも、できる限り安く!です。
強大なバイイングパワーの前に、メーカーは、かつての売り場支配力を失い、いかに売りたい商品でも、扱ってもらえない「棚落ちの恐怖」が現実となって行きます。
売場に並んでいない商品は、どんなに広告しても買ってもらえません。
広告は、営業力で作り上げた、完全配荷の構造の上で初めて機能していたのです。

その2:情報支配の崩壊

本来人は、自分の目と耳と口とで情報を交換し合って生きていました。
そこへ、テレビに代表されるマスメディアが登場して、人のコミュニケーションの構造を変えました。
細々としたクチコミを完全に凌駕する圧倒的量のマス情報が、人々の暮らしを左右する時代が来たのです。
そして、マスメディアとは、情報の送り手と受け手が完全に分離する仕組みであり、かつ、お金で買い占めることができましたから、大メーカーは自社に有利な情報を選別して配給する仕組みを作ることに成功しました。
不都合な情報は一切流さず、隠ぺいすることも可能だったのです。
2000年ころを境にインターネットが普及し、その流れを一転させます。
車が欲しいと思って、テレビの前に座ってCMが流れて来るのを待つ人はいませんね。
自分から企業のホームページにアクセスして情報を検索し、評価サイトでユーザーの声を確かめます。
欲しい情報は自分から求め、自分で取ることが可能になりました。
もはや送り手の側は、情報のコントロール力を失いました。
情報の主権は、ネットによって、受け手(あるいは使い手)の側のものになったのです。

その3:商品差別化の臨界点

成長期においては、新商品の魅力は圧倒的でした。
昨日までは無かった価値が、今日は、お金さえ払えば手に入れることができるのです。
その時代、広告はある意味、有益な生活情報でもありました。
成熟期を迎えた今はどうでしょうか、A社の商品とB社の商品はどこが違うでしょうか?
従来の商品と、その新商品には、どれ程の価値の差があるでしょうか?
商品開発の技術が進み、臨界点に達した今、各社が唱える“わが社だけの特徴”は、広告では理解できないわずかな差であり、今すぐ飛びつくほどの理由の薄いものになりつつあります。
つまり今やメーカーは、広告では価値を伝えづらい商品を自ら作り、その売り方に窮しているともいえるのです。

では、どうすればよいのか?

その答えは、決して簡単ではありませんが、私達にはこれからを考える上での、ひとつのヒントがあります。

参照:Column 2.「アフターアクションマーケティング」

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